心療内科雑感

ぼちぼち仕事を続けつつ、不眠は治っていないので新しい心療内科を探している。元々通っていたところは平日のみの診察で、平日フルタイムの仕事を始めた今では有休をとって行かねばならずさすがに通院は厳しいだろうと考え、紹介状をもらい他の病院を探すことにしたのだった。しかしめぼしいところに電話してみると「予約が翌月まで埋まっており、それ以降はまだ受け付けていない。しばらくしてからかけ直すか、他の医院をあたってほしい。」と言われ、もうひとつ別の場所もかけてみるが同じような内容のことを言われて電話を切られた。正直ショックだった。私の声色に切迫感がなさすぎたんだろうか。もしこれが、重いうつでもう死にたいと思い詰めているような人間だったら、色々なあきらめがついてしまって帰りの駅のホームですうっと電車に吸い込まれてもおかしくはないんじゃいか、なんてことを冷静に思った。もちろん自分は診断名があるわけでもないし入眠剤をもらっているだけなのでそんなことになりはしないし、それでもやはり入眠剤を切らすのは少しこわいので咄嗟に別の手段はないかと考えを巡らせたりすることもできるのだが。

 

そして考えた結果、数日後別の用事で半休を取っている日があるので、その日になんとか元々通っていた医院に診てもらえないか電話して聞いてみることにした。その医院は以前も「長時間待つことになっても大丈夫ということであれば、今日の一番遅い時間にご予約お取りしますよ」と言ってくれたことがあったので、今回もそこをなんとかとお願いすればやってくれるのではないかと思ったのた。そして実際、それはうまくいった。結果的に1時間以上は待たされたが診察はしてもらうことができた。

 

さて、ここからが本題なのだが、この心療内科の担当医、会話をするときにほぼ目を合わせることがない。わりといろんなことを聞いてくるのだが、私の返答には「ふーん」と言うくらいで反応らしい反応もない。率直に言って、会話するのが苦痛だ。しかも、自分は最近仕事を再開したのだが(前職を辞め、数か月ほどは無職だった)、「もし辛いようであれば、仕事を辞めるというのもいいかもしれませんね」などとぬけぬけと言ってくる。本当に驚いてしまう。どう考えても、自分は無職だった期間のほうが辛かったし、仕事を再開して他人と話をするようになってから随分と精神的に楽になったのだ。入眠剤を飲む回数も減った。きっと、そのようなことを言ってくる理由のひとつには私の属性も関係しているのだろうと思う。つまり、仕事を辞めても誰かが養ってくれる属性の人間だと私のことを思っているのだ。(そうでなかったら、仕事を「辞めてもいいかも」なんて軽々しい物言いはしないだろう。)そういったことを、相手の目を見ることもなく、顔の表情ひとつ動かすことなく、しれっと言ってくる。私は、相手が医者とはいえ対等な話し相手と認識しているので、「仕事を辞めるなんてそんなことするわけないだろう」と不躾なことをいきなり言う気にはなれず、「はあ」とか適当に返答している。なにもわかっていないおっさんと話をするためにわざわざ1時間半も待ったのかと思うと、奇妙な感覚に襲われる。その上お金まで払うのだ。お金を払っておっさんの質問に適当に答えている自分。一体この状況はなんなのだろうと、既に心ここにあらずだ。おっさんへの返答も適当になってきてしまう。それでも入眠剤をもらいたい一心で、長い時間をやり過ごす。

 

予約のとれない別の心療内科には、もっとまともな医師がいるのだろうか。きっとそうにちがいない。逆に言えば、この医院は、この医師だから、予約がとれるのだろう。そう考えて、再び脱力する。

 

長い休みの使い方

4月から働き始めてすっかりブログから遠のいていた。

 

無職で自分の収入がはっきりしていなかったこともあって10連休はほぼ予定をたてず、2、3日友人や実家の家族と会った以外は、いつもの休日と同じように当日やることを決めたり、なにもしないことを決めたりして過ごしていた。それでも、なんだかんだとあちこちに出かけた。街でも自然の多い場所でもとにかく人が多く、いつもなら絶対にしない「行列に並ぶ」ことも多々あったが、思っていたよりも楽しい時間を過ごすことができた。誰かとケンカをしたり嫌な気持ちになったりすることもなかった。ついでに、しばらく連絡がなかった友人からメールが来たのも嬉しかった。

 

とはいえ本当はもっとやっておきたかったことがあり、それは読書や、こうしてブログで文章を書くこと、そして家電や生活用品で買おうかどうかと検討していたものをきちんと買いそろえること、等である。読書は、なんとなくそのモードが訪れず、少しの空き時間はひたすらスマホゲームに費やしてしまった。思い立ったときにぱっとやって少しリラックスできるのがスマホゲームのメリットだと思っていて、私にとっては大切な時間のひとつではあるが、ついついやりすぎてしまうのはやはり気にかかる。読書も波に乗り始めるとすごくわくわくできるし頭が働いてほどよい疲れも感じられるので良いのだが、なかなか意識がそちらに向いてくれないことがあり、この休み中はずっとそうだった。今日はこうして文章を書くことができているので、このあとは読書モードになれるかもしれない。

 

本題に戻ると、長い休みをうまく活用するということが昔から苦手である。まず、計画を立てられない。次に、人混みや行列が苦手なので祝日など多くの人と休みがかぶるような場合は反射的に、「遠出はしないでおこう」という気持ちになってしまう。そして、計画を立てられないことと似ているのだがもうひとつ、ものごとの優先順位を付けられない。休みのあいだにやらなけらばいけないことを先にやるべきか、それともせっかくの連休なのだからそんなときにしかできないことをしてリフレッシュしたほうがよいのか、はたまた…等々あれこれ考えてしまい、結局いつでもできることをしている場合も多い。もちろん、いつでもできることを連休中にがっつりやる、という選択肢もきっとあるに違いないのだろうが。幸い今回の連休では、そういったことであまり悩まずにのんびりと休みを過ごすことができたので満足している。

 

こつこつ文章を書くことが目標なのであまり長く書かず、これから書きたいなと思っていることだけメモしておく。

元号天皇について

・働くことのモチベーションを維持する方法について

日々

昨日が二度目の心療内科受診日だった。初診時にうつ病の診断テストを受けたが、うつと正常のあいだくらいの結果ですね、と言われた。睡眠薬は処方されているが毎日ではなく、眠れないときに飲めばいいとのこと。前回処方されたものは結局毎日飲んでおり、そのことを伝えると「ああそうですか」という反応だった。あまり細かい話はされないので想像するに、飲んで眠れているならしばらくそれでいい、というようなことらしい。

 

診療が終わって薬局で薬を処方してもらう際、薬剤師から「お医者さんからは眠れない時だけと言われてますよね?この薬は半分に割ることができるので、試しに半分ずつ飲むようにして、そうやって少しずつ薬を飲まなくても眠れるようにしていきましょう」と言われた。わざわざ割り方を、図に書いて説明してくれた。だが、医者からは、確かに眠れない時だけとは言われているが、少しずつ減らしていきましょうということは今のところ言われていない。半分に割ってどうのこうの、という話も当然ない。そんなことが心をよぎったが、とりあえず「はい」と答えて薬を受けとった。

 

医者と薬剤師の言うことが違う場合、当然医者の言うことを聞くべきだろう、とは思うが、医者が言ってもいないことをつらつらと話してくる薬剤師に対して、あまりいい気はしなかった。それに、(以前どこかで同じ意見を読んだような記憶があるのだが)自分の病気や処方されている薬というのは最上級にプライベートなことであるはずなのに、他の患者もたくさんいる場で症状についてあれこれ聞いてくるというのは、少しおかしなことではないかと思うのだ。しかも、まだ睡眠薬を処方されて2週間しか経っていないのに、「少しずつ減らしていきましょう」などと、医者にも言われていないことを言ってくる。考えれば考えるほどおかしなことのように思えてきたが、薬剤師本人に直接言う機会は逸してしまったので、次回の受診時に医者に確認してみようと思う。

『文系と理系はなぜ分かれたのか』隠岐さや香著

本書でも触れられているように「文系・理系」という分け方は学問において必ずしも唯一の分類方法ではない。一方で、世界的にみても、大学の専攻などで大まかにこのような分け方をすること自体は一般的に存在しているようである。

 

興味深かったのは、西洋世界においては学問が宗教や王権から自律していく過程で二つの方向性が生まれ、それが現在の文系・理系と呼ばれる分野の違いにつながった、という点。ひとつは、神を中心とする世界秩序からはなれ、人間中心の世界秩序を追い求める方向性(文系)であり、もうひとつが、「神の似姿である人間を世界の中心とみなす自然観」から距離をとる方向性(理系)である。文系学問が、宗教から離れ、より人間中心的な価値観に移行する一方で、理系学問はむしろ人間を中心として世界を観測する方法から、より客観的な方法を使って世界を捉えるという方向へと移行した。前者にとっては人間こそが価値の源泉であるが、後者にとって人間はバイアスの源である。

 

学問の中には文系・理系に分類できないものや両者にまたがるものが存在するので、上記のような考え方が当てはまらない場合も当然あるとは思うが、「そもそも学問はなぜ生まれ、それを使って私たちは何をしようとしているのか」というようなことを考える時に、一つの手掛かりにはなるのではないかと思う。

人と関わる

夕方、大相撲を見終わったあとそのままNHKをつけっぱなしにしていたら、「ひとモノガタリ」という番組が始まり、そのまま見入ってしまった。

過去の放送 - ひとモノガタリ - NHK

 

冒頭、あたかも「上京したての若い女性の物語」が始まるかのようなナレーションが流れたので(おそらく意図的)、一瞬テレビを消そうとしたのだが、主人公が69歳の女性と知って、驚いた。彼女は若い頃に統合失調症と診断され、20年以上入院生活を送っていたが、69歳にして念願の一人暮らしを始めるのだという。69歳で、初めて、自分の意志で一人暮らしを始める。それだけでも本当にすごいことだと思う。

 

番組では、彼女が新しい環境で、うまく友達が作れず悩む姿を描いていた。作業所の仲間に、一緒に買い物に行こうと声をかけるも、うまく会話が続かず結局別々に買い物をし、別々に帰ってきてしまったり。そんな姿を見ていて、なんだか胸にこみあげてくるものがあった。見かねたディレクターが「一緒に帰ったほうが楽しくないですか?」などと声をかけるのだが、そんなことは本人が一番よくわかっているはずだ。だって自分から、一緒に買い物に行こう、と声をかけたのだから。

 

友達を作るというのは、誰にだってそう簡単なことではないと思う。自分もあまり、そういったことが得意なほうではなかった。個人的な経験からすると、人(他人)のことをあまり深く考えなくなってからのほうが、人付き合いは楽になったような気がする。だが、その塩梅も難しい。ドライに接しすぎて、相手を思いやる気持ちが欠けていたなと後々気づくことも、これまでに何度かあった。

 

あらためて、友達を作るというのはどういうことなんだろう、と考えたくなる興味深い番組だった。

 

不眠について

つい数日前、不眠について相談する為に心療内科に行ってきた。自分が不眠に悩むようになったのは、おそらく4,5年ほど前頃からだろうか。引越しをして、ワンルームに住むようになり、それほど広くなかったので、冷蔵庫のすぐ近くにベッドを置いて寝る、という状況になった。そして一晩寝てみたとき、冷蔵庫が定期的に鳴らす音でなかなか寝付けず、眠りに落ちてもまたその音がなると目覚めてしまい、といった状態で、翌朝の気分はひどいものだった。とりあえずはベッドの位置をなるべく冷蔵庫から離し、翌日寝てみると前日ほどはひどくなかったので、「慣れればどうってことはないだろう」と、その時はタカをくくっていた。

 

実際しばらくのあいだは、就寝時少し気になりはするが、少し待てば寝付ける、程度のことで、そこまで気にしていなかった。だが、自分は元々寝る前に長々と考え事をしたり、そもそも寝つきがいいほうではなかったので、次第に寝つきの悪さが進行してきて、一度ベッドに入ってから30分、1時間経っても寝付けず一度起き上がり、スマホを見たり小腹を満たしたりしてまたベッドに入る、というようなことが多くなった。当然寝不足気味になってくる。それでも、寝不足だった日の翌日は良く眠れたので、まだそこまで問題だとは思っていなかった。だが、その頻度は次第に高まっていった。原因は、仕事や人間関係のストレスもあっただろうと思う。仕事がデスクワークだった為、運動を取り入れようと考えてジム通いも始めた。それなりに効果があったようにも思うのだが、ジム通い自体が楽しかったわけではないので、きちんと定期的に続けることには精神力が必要だった。実際、デスクワークとはいえ仕事での疲れももちろんあり、それに加えて(あまり好きでない)運動をし続けるということが、なかなか難しかった。

 

その他にもさまざまな要因があったと思うが、結局うまく眠れないことで仕事にも支障が出始めた為(朝とにかくだるい、仕事中眠い、やる気が出ない等)、環境を変えるという意味も込めて、そのアパートは引っ越すことになった。冷蔵庫の音は数ある要因のひとつでしかなく(実際泊まりにきた友人の中には全く気にならないという人もいた)、そのほかの様々なストレスも要因となったことは間違いない。だが、そのアパートには他にもいろいろと不満点があったので、いい機会と思うことにしたのだった。

 

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ブログを始める

生活環境の変化により、自由時間が増えた為、ブログを初めてみることにした。

今のところ、書いてみたいのは下記のようなこと。

  • 読んだ本の記録、考察
  • 哲学的考察
  • 自分の不眠、うつ傾向の経過観察
  • 日々の楽しいことについて